小林裕和
(株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授
古今東西、民衆への 「情報操作」 は統治の常道であるが、現在の日本においては無縁のように思われた。「日本国憲法」 第21条 「表現の自由」 および第13条 「個人の尊重」 は、国民の知る権利を保証しているはずだ。日本国憲法は、連合国軍総司令部 (GHQ) が起草し、1946年に成立した。その成り立ちゆえに、安全保障に加えて時代にそぐわない部分もあるものの、国民の基本的人権を保証している。今回の自民党総裁選において、テレビや新聞といったマスメディアは意図的にこれを侵害した。過去にもそのようなことがあったと想像されるが、今日のソーシャル・ネットワーク (SNS) の普及により、マスメディアによる情報操作が浮き彫りになる。
高市早苗氏の政策は、経済重視と安全保障に立脚し、「積極財政」 により景気回復を図るという明確な論旨であり、他の候補者の追随を許さないものであった。1992年のバブル崩壊以降、日本の一般会計歳出は一般会計税収を上回り、特殊公債と建設公債を合わせその累積額は今年度末には1,105兆円になると見積もられている。これを増税により解消したいとする 「緊縮財政」 が財務省の目論見である。しかしながら、これは一側面を見ているに過ぎない。日本は世界最大である418兆円 (2022年末時点) の対外純資産を有する。したがって、この利子や配当を含めたネット収支を考慮すれば、累積国債の深刻度は低い。すなわち、日本には緊縮財政ではなく積極財政を進める余力があり、積極財政によってこそ、景気低迷からの脱出が可能と見込まれる。
もう1つの論点は国際安全保障。日本の領海・領空は中国、ロシア、北朝鮮と接し、これらの国々からの艦船、戦闘機、ミサイルによる威嚇に曝されている。中国とは尖閣諸島、ロシアとは北方四島 [択捉島 (えとろふとう)、国後島 (くなしりとう)、色丹島 (しこたんとう)、歯舞群島 (はぼまいぐんとう)]、韓国とは竹島の領有権を巡る問題において、解決の糸口が見出せない。内閣府政府広報室による 「外交に関する世論調査」 (2024年1月) によると、中国およびロシアに 「親しみを感じる人」 対 「親しみを感じない人」 は、それぞれ12.7 対 86.7、4.1 対 95.3。すなわち、世論が親中・親ロでないことは明らかだが、領域侵犯に対しては、軟派と硬派に分かれる。多くの報道メディアは、靖国神社参拝を含む高市氏らの硬派的主張を警戒し、世論もこれになびく傾向が見られた。これは現在の日本国憲法維持派と改憲派に重なり、さらに、皇室典範における女系天皇の支持派と不支持派に繋がる。
元来マスコミはリベラル左派寄りの印象だが、不安定な市場にはインフラ投資と歳出拡大が必要という 「ケインズ経済学」 的な政策より、市場の効率的な配分を可能にするには自由貿易拡大と歳出削減が必要であるとする 「新自由主義経済学」 的な政策へのバイアスが10倍強いとの報告もある。さらに、政府からのアップデートな情報や税制上の優遇を得るため、人の交流を含めて政府と報道機関は密接な関係にある。緊縮財政に批判的な政策を排除する方向に報道機関は動いた。すなわち、政府への忖度が不要なSNSに比べ、マスメディアの報道には一定のバイアスが働いた。高市氏の人気度が低いとする情報に加え、高市氏の国政報告資料を選挙運動資料とする報道。著名な政治評論家がさらにこれらの論旨に加担する。これらのマスコミや評論家は、SNSにおいて痛烈な批判に曝されていることをご存知だろうか。司会者の本質を逸する質問には、討論会における候補者の主張を曖昧にする意図を感じる。今回の自民党総裁選報道により、国民の知る権利への侵害が浮き彫りとなり、結果としてマスメディアが容認する石破茂氏が総裁になった。すなわち、マスメディアの勝利とも言えるが、これによりマスメディアの報道バイアスも浮き彫りになった。このような日本社会に失望すると同時に、憤りを覚える人も少なくないはずだ。今や日本人の81%が利用しているSNS。マスメディアや評論家のSNS軽視は、彼らへの信頼失墜に帰結した。
金曜日の総裁決定を受けて、為替は大きく円高に振れた。これは来るべき月曜日の株価暴落を予測させる。新首相の誕生は、「ご祝儀株価」 として上昇に繋がるのが常であるが、今回は異常とも言える。これは、リズ・トラス英国首相の誕生時を彷彿させる。2022年にトラスが英国の首相に就任した際、打ち出した経済政策により英国の株式市場は大幅に下落した。その結果、彼女は50日という英国史上最短の在任期間となった。日本で最も短命な首相は、東久邇宮稔彦王 (ひがしくにのみや なるひこおう) である。彼は1945年8月17日から同年10月9日までのわずか54日間首相を務めた。次は、羽田 孜 (はた つとむ: 1994年4月28日から同年6月30日までの64日間)、石橋湛山 (1956年12月23日から1957年2月25日までの65日間) が挙げられる。石破政権は厳しい船出となるが、当面はこれを見守るしかない。
留言