小林裕和
(株)グリーン・インサイト・代表取締役/静岡県立大学・名誉教授・客員教授
漫画 「ちびまる子」 の舞台は静岡県清水市、巴川河口約1km上流西岸の入江地区。清水市は2003年に静岡市と併合して、今は静岡市清水区となっている。作者である 「さくらももこ」 さん (1965年〜2018年) が少女時代を過ごした地。主人公である 「ちびまる子」 は、小学3年生の平凡で冷めた感じの少女。時代は1974年〜1975年の設定となっている。それは作者の幼少期と重なる。「ちびまる子」 の日常生活と鋭いツッコミがどの世代にも受ける。この漫画が最初に登場したのは、「りぼん」 (集英社) に1986年。その後、アニメは1990年から。今年3月に、「ちびまる子」 の声を演じたTARAKOさん (1960年~2024年) が亡くなられたという悲しい知らせが入った。
JR清水駅前には、昭和 (1926年〜1989年) を彷彿とさせる商店街が広がる。全国的に夏は祭りの季節であるが、清水では、静岡市清水産業・情報プラザ内に事務局が置かれ、7月7日を中心にして土日が入るように4〜5日間 「七夕祭り」、8月の第1日曜日を含む金土日に 「みなと祭り」 が開催される。前者に今年は23万人、後者に昨年は40万人が参加した (主催者情報)。そこでは、「ちびまる子」 がキャラクターとして集客に貢献する。また、清水と静岡の中心部を静岡鉄道が結ぶ。静岡県は茶所であり、静岡市の安西地区に製茶問屋が集積する。ここから清水港へ輸出用茶葉を輸送する目的で、旧静岡鉄道が1907年に開設された。現静岡鉄道は専ら人の移動に使われており、2両編成の可愛い電車が、「撮り鉄」 や 「乗り鉄」 の人気を呼んでいる。取り分け、「ちびまる子」 仕様は子供にも人気が高い。この2両編成は 「ちびまる子」 の絵でラッピングされ、「ちびまる子」 の声で車内アナウンスが流れる。旧車両1000形にあったこの仕様は、「まるちゃんの静岡音頭」 として2021年に新車両A3000形に登場。さらに、「さくらももこ」 さんの遺作とも言える 「ちびまる子」 が描かれたマンホールの蓋が、静岡鉄道・新静岡駅南側 「新静岡セノバけやき通り口」 付近とJR清水駅西口 (江尻口) 付近に設置されている。
清水区を包括する現静岡市は、静岡県中部に位置し、旧 「駿河」。戦国時代、今川義元 (1519年〜1560年) の城下町として栄え、その後徳川家康 (1543年〜1616年) に引き継がれた。現在まで商業の町としての気風が強い。明治 (1868年〜1912年) 以降バブル崩壊 (1994年頃) までは、造船の町として繁栄した。その結果、町工場が多く残る。その技術を生かし、現在では日本一のエアコン生産拠点となっている。「ちびまる子」 に登場する 「ケンタ」 こと長谷川健太 (1965年〜) を含め、この地は多くのサッカー選手を輩出している。「清水エスパルス」 は、ここを本拠地とする。ここにも 「ちびまる子」 あり。2008年に 「エスパルスドリームプラザ」 内に、「ちびまる子ちゃんランド」 が開設され、幼年層を中心に人気を集めている。「エスパルス」 の社長・会長だった早川 巖氏 (1943年〜) は、その後私の隣人としてお付き合いさせていただいている。
1983年から2年間弱、私はアメリカのボストンに住んだ。当時、ボストン郊外には “チェスナット・ヒル” と言うショッピング・モールがあり、生まれて初めてモールと言うものを目にした。多数の高級店舗に加え、レストランや映画館まであった。車社会ならではのシステムだと思った。このようなショッピング・モールは、1940年代から1950年代にかけて広がり始め、1960年代以降急速に普及した。日本では1980年代後半から1990年代にかけて広がり、2000年代には全国に波及した。これは、“イオン” のような大型スーパーと一体化して設置されるケースも多い。このようなモールは、1箇所で複数の店舗を利用できるため、利用者にとっての利便性が高い。さらに、雇用創出を介して地域経済を活性化する。しかし一方では、自然環境への負荷や交通渋滞を引き起こし、全国を均一化する。他方、地元の商店街は、その土地ならではの趣を秘める。モールはこの種の商店街の経営を圧迫し、淘汰する。私は清水区に住んでいる。黄色い帽子とランドセル。登下校時には多くの 「ちびまる子」 たちを目にする。本物の 「ちびまる子」 がいた時代の商店街や情緒を残こさなければならないと強く思う。
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